[著者情報]
瀬戸 怜奈(せと れな)
映像ディレクター / 音楽クリエイティブ・ライター。短編映画の監督として活動する傍ら、ミュージックビデオの記号論や現代音楽批評を専門とする。同じ「作る側」の視点から、アーティストの表現意図を解読し、感性を言葉で裏付ける活動を行っている。
仕事帰りの電車、窓の外を流れる夜景を眺めながら、イヤホンから流れる米津玄師さんの新曲『アイリスアウト』をリピートしていませんか?
2分31秒という、あまりにも短く激しい疾走感。
曲が終わった瞬間、視界が円形に閉ざされていくような感覚とともに、なぜか胸の奥がスッと軽くなるような「救い」を感じて、その正体を知りたくて検索窓を叩いたのではないでしょうか。
「アイリスアウト」という言葉は、本来、映画の幕引きに使われる古い技法です。
なぜ米津さんは、物語の「終わり」を意味するこの言葉をタイトルに冠し、そこに圧倒的な肯定感を込めたのか。
今回は、映像演出の歴史と現代思想の視点から、この楽曲が私たちに与える「残酷で美しい救済」の正体を紐解いていきましょう。
そもそも「アイリスアウト」とは何か?100年前の映画技法が持つ「視線」の魔力
デザイナーとして視覚表現に携わるあなたなら、直感的に「何かが閉じていく演出」だと理解しているかもしれません。
ですが、その歴史を遡ると、この技法が持つ「真の役割」が見えてきます。
「アイリスアウト」は、1910年代のサイレント映画時代、映画の父と呼ばれるD.W.グリフィスらによって確立された技法です。
当時は現代のようなズームレンズが存在しませんでした。
そのため、観客の視線を特定の対象へ誘導したいとき、物理的にレンズの絞り(アイリス)を絞ることで、周囲を真っ暗にし、中心の対象だけを円形に浮かび上がらせたのです。
つまり、アイリスアウトの本質は「幕引き」ではなく、「究極の注視(フォーカス)」にあります。
✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス
【結論】: アイリスアウトを単なる「終わり」の記号として捉えるのはもったいない。
なぜなら、この演出は「他のすべてを捨ててでも、これだけを見てほしい」という作り手の強烈な意志の表れだからです。映像制作の現場でも、情報のノイズを遮断し、対象を神格化するために使われます。この「情報の遮断」という側面こそが、楽曲『アイリスアウト』を理解する最大の鍵となります。
なぜ「視野狭窄」が救いになるのか?歌詞に隠された「蕩尽」の美学
楽曲の中で繰り返される「視野狭窄」という言葉。
通常、これはネガティブな状態を指しますが、この曲においては「救い」として機能しています。
ここで重要になるのが、歌詞にも登場する「蕩尽(とうじん)」という概念です。
思想家ジョルジュ・バタイユが提唱した「蕩尽」とは、社会的な生産性や損得を一切無視して、エネルギーを使い果たすことを指します。
「アイリスアウト(映像技法)」と「視野狭窄(心理状態)」は、この楽曲において「愛の固執」という一点で結びついています。
周囲のノイズ、社会のルール、将来への不安。
そうした「円の外側」にあるすべてをアイリスアウトによって消し去り、中心にいる「君」だけを視界に残す。
その極限の没入状態こそが、この曲が描く救済の形なのです。

2分31秒の衝撃。楽曲の「短さ」そのものがアイリスアウトを体現している
この曲を聴いたとき、「えっ、もう終わり?」という感覚に陥りませんでしたか?
実は、楽曲の「2分31秒」という極端な短さ自体が、アイリスアウトという技法の収束性を音楽的に体現しています。
米津さんはインタビューで、前作『KICK BACK』の複雑な構成に対し、今作を「一直線に突き進んでパッと終わる、潔いもの」と語っています。
📊 比較表
【一般的なJ-POPと『アイリスアウト』の構造的違い】
| 比較項目 | 一般的なJ-POP | 『アイリスアウト』 |
|---|---|---|
| 平均的な曲長 | 4分〜5分 | 2分31秒 |
| 構成の意図 | 余韻や物語の起伏を楽しむ | 一瞬の爆発と急激な収束 |
| 聴後の感覚 | 物語を読み終えた満足感 | 視界が断たれたような衝撃 |
| 演出効果 | フェードアウト(徐々に消える) | アイリスアウト(一気に閉じる) |
この「短さ」は、私たちが日常で抱える「終わりのない不安」に対するアンチテーゼです。
ダラダラと続く日常をアイリスアウトで強制終了させ、一瞬の熱狂の中に「君だけが大正解」という確信を閉じ込める。
このスピード感こそが、現代を生きる私たちにカタルシスを与えるのです。
【FAQ】「トホホ落ち」とは何が違う?米津玄師が仕掛けた文脈の反転
ここで一つ、多くの日本人が抱く疑問に触れておきましょう。
Q: アイリスアウトって、アニメの最後で「トホホ〜」って終わるアレですよね?
A: その通りです。しかし、米津さんはその「滑稽な文脈」をあえて利用し、反転させています。
日本では『ドラえもん』などの演出により、アイリスアウト=「失敗して終わる、滑稽なオチ」というイメージが定着しました。
しかし、米津さんはこの「滑稽な幕引き」の形式を借りながら、その中身を「狂信的な愛」という極めてシリアスな熱量で満たしました。
「世界から見れば滑稽で、視野狭窄な終わりかもしれない。
けれど、自分たちにとってはこれこそが聖なる完成なんだ」という、批評的なメッセージがここに込められているのです。
視界が閉ざされたあとに残るもの。私たちがこの曲に救われる理由
「世界が閉じることは、怖くない。それは、あなたにとって一番大切なものを見つけるプロセスだから」
米津玄師さんの『アイリスアウト』は、私たちにそう語りかけているように思えます。
情報の洪水の中で、何が正解かわからず、広い視界を持つこと(=正解を探し続けること)に疲れてしまったとき、この曲は「視界を閉じてもいいんだ」という許可を与えてくれます。
次にこの曲を聴くときは、ぜひその「2分31秒」の視野狭窄を楽しんでみてください。
円の中に閉じ込められた「あなたにとっての正解」が、より鮮やかに浮かび上がってくるはずです。
[参考文献リスト]
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「一直線に落ちてパッと終わる、潔いものにしたかった」
出典: <インタビュー>米津玄師 「IRIS OUT」「JANE DOE」に浮かび上がる“無意識”の繋がり – Billboard JAPAN, 2025
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「蕩尽とは、生産的な蓄積を拒否し、生命のエネルギーを無償で使い果たすことである」
参照: ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』
- 映像技法辞典「アイリス・アウト」の項(歴史的背景の確認)
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